安楽死を考えてみた。
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written by Masatetu Akimoto

安楽死を考えてみた。


 


 

高校二年生の夏に読書感想文で賞をもらった。

自慢でもなんでもない。


その春に最愛の母親を亡くし、自暴自棄になっていた夏に為来のようにやってきた宿題に、できいるだけ短い読書で済まそうと思った。


その時に手に取った作品が、森鴎外「高瀬舟」だった。


登場人物が二人だけの会話劇は、弟を殺したという男と、その罪人を護送する役人で紡がれます。晴れた穏やかな心の罪人と、その罪人の話を聞き、正反対に心を澱ませる役人。


人の心の中で、形を変える「死」、安楽死について答えは明かされず物語は終わる。


母親は胃癌でこの世を去った。

当時の医療技術は、癌に立ち向かえるものではなく、ましてや田舎の病院ではなす術もなく母親は2度の手術に耐えながらも、食事を取れずに見事に痩せ細り力尽きた。


父親はなんとかしたいとの一念で、当時話題に上っていた丸山ワクチンを求め、東京に月参した。栄養価の高いと評判の帝国ホテルのアイスクリームを毎度購入し帰郷したが、それをも口にできぬ母に変わり、育ち盛りの息子は掠め食っていた。


人間、そこそこの歳になれば懺悔の念にかられることも多少あるが、この時の自分の姿は、思い返すだに浅ましく情けない限りだ。


21歳で母親になったことで、手のかかる子供だった自分に大変な苦労とそれをはるかに超える愛情で育て上げてくれた。


そのような経緯で、その時の読書感想文は、感想文にあらずものだったと思う。


痩せ細り、痛みと戦い、苦しみ抜いて日々を過ごした母を見ながら、これ以上悪化させたくないと思いながらも、強く生にしがみつきたいという自分のエゴの中で、痛みがない体のくせに勝手に疲れ、諦めてしまっていた自分がいた。


母が無言になった朝、それがわかっていたようにバット持ち素振りを続けていた。

疲れて辞めたいと何度も思ったが続けていた。


朝もやの中から父親が現れて「今、逝ったよ」と告げた。



 
  1. Dr.キリコ

  2. 東海大学安楽死事件

  3. ドクター・デスの遺産

  4. 人魚の眠る家

まとめ:安楽死とは極めて慈悲による行為だ。

 

これを深掘りしていきます。


ドクターキリコ

安楽死をテーマに扱うのであれば、彼の名前を出さないわけにはいかない。


Dr.キリコ 銀髪、長身・痩身、隻眼の風貌。高額で安楽死を請け負う医師。


手塚治虫の名作「ブラック・ジャック」に登場する宿命のライバルだ。

ゲリラ戦の最前線で軍医をしていた当時、重傷を負って死にたくても死ねないでいる多くの兵士と接してきた経験から、安楽死専門の医師となったという経歴ではあるが、安楽死に対して強い使命を持ちながらも、エピソードの端々に彼が医者である側面をうかがわせる。


ダーティーな出で立ちで、高額を求める代わりに必ず治療をする主人公ブラック・ジャックと、わずか500万円の報酬で、求め喜びながら死を迎える患者に安楽死を施すDr.キリコ


娯楽物語上、両者の対決の場面が多いが、ブラック・ジャックが勝利したことにどこか喜んでいる節を見せるDr.キリコに好感をもつ読者も多い。


父を安楽死させ、自らも謎の病に倒れ自決を施そうとした時に、Dr.キリコの実妹ユリの切望によりブラック・ジャックが病気の謎を解明し救出するシーンは強い友情を感じた。


主人公のブラック・ジャックがダーティーなキャラクターでありながら、芯の部分は強い意志を持っているという設定に反するようで同調するヒールでありながら正義感を持つDr.キリコの存在は頼もしい。




東海大学安楽死事件

日本の安楽死に関する事件簿の中で、この事件は真っ先に浮かぶであろう。


1991年 4月13日昏睡状態が続く末期がん患者に対して、妻と長男からの治療の中止の強い希望を受け、患者塩化カリウムを投与して、患者をに至らしめたとして担当の内科医であった大学助手が殺人罪に問われた刑事事件である。


この事件をきっかけに、塩化カリウムが安楽死の代名詞となった。


この時、命の果てに近づいている患者が、もがき苦しむ姿を見て、長男から強く終了を求められ行為に至ったことが、世間の同情も買った。


因みに、本事件に先んじた安楽死事件は、「名古屋安楽死事件」が有名であるが、東海大学事件より、30年も前であり、毒殺という不明な死因となっていることから、安楽死の是非も問われるところである。




ドクター・デスの遺産

中山七里著「ドクター・デスの遺産」は名作である。


七里作品のメインストリーム、刑事 犬養隼人シリーズにして壮大なるテーマに挑んだ意欲作。


安楽死を行うきっかけとなったある医師の言葉「死ぬ権利を与えてくれ」

物語の後半、エピローグに近い形でこの台詞のシーンはやってくる。

そして、そのシーンが落とし穴のようにドクター・デスに感情移入させられる。


一連の安楽死事件を追う警察の姿と、その中で、毎度パーソナリティを発揮する犬養刑事の

姿が、心地よい定番を作り上げる中で、安楽死という重いテーマにどこか結末を恐れながら進む。


そして、流石のクライマックス。


七里ワールドの読了感である。


琴線に触れる最後のシーンの台詞をご紹介しよう。


主人公、犬養隼人の娘沙耶香の台詞である。

「それ(安楽死)って考え方の違いだよ。だって家族を死なせたくないのも、苦しませたくないのも、根は同じ思いやりなんだから」

「長く生きられたら無条件で幸せってことでもないじゃない。それさ、対立してるんじゃなくてアプローチが違うだけなんだと思う」


重いテーマの本質を、若い娘が言い放つことで、荷をおろしている。






 


 


安楽死という軸ではないが、東野圭吾の「人魚の眠る家」も同様に意味深い作品である。


水の事故で重体に陥った少女を脳死と判断せず、一緒にいることで成長すると信じた母親、その傍ら、臓器提供を待つ家族に接触し、自分のエゴを消化する。


我が子に脳死判定を受けさせる親の気持ちは尋常ではない。


どんな形が我が子を守ることなのか、答えのない領域に挑んだ作品なだけに東野圭吾の覚悟が見えた作品であった。


安楽死と違い、脳死判定後は、臓器提供により、誰かの元でぞの臓器は生き続けると考えることができる。


しかし、それが決断の理由にはならない。


安楽死は、それを被る患者側が苦しんでいる状態であり、苦から楽への召還の気持ちが強いとも思う。


脳死を受け入れての臓器提供と安楽死、形は違えど、その立場となって、決断を余儀なくされて初めて見えてくるものである気がする。



まとめ:安楽死の定義 は、慈悲の精神にもとづいて死期を早めることによる「良き死」を許容する、と いう考え方に依拠してきたように思う。患者の苦痛緩和あるいは除去する目的で、医師が患者の死期を 若干早める処置を取ることを殺人と同じ考えで語るのか、それを罪として罰するのか。その立場にいないと、意識を感ずることは無理ではあるが、安楽死とは極めて慈悲による行為だと思うのである。

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